2020年1月11日土曜日

明けましておめでとうございます!


今年は定演の年ですね。
HPがなくなってブログだけになってしまい何かとご不便をおかけしています。
規模は縮小されましたが、練習日を待たずして知りえた情報などもアップして行きたいと思いますのでひきつづきよろしくお願い致します。

冬休みに長野に行ってきました。
長野市の隣に中野市という町があります。
千曲川沿いの国道を通って行くのですが、そこは去年の千曲川氾濫の被害を受けた地域です。コンビニなどの資本力のあるお店以外は泥にまみれて放置されています。
周辺はアップルロードと呼ばれる果樹園の広がる地域。
例年なら収穫が終わって,枝を剪定した林檎たちが春を待っている時期なのですが今年は荒れ果てていました。
地面には赤や黄の林檎たちが茶色く朽ちるままに積み捨てられたり、
たくさんの林檎をつけたままの枝がそのまま放置されています。
長野の他の地域の林檎畑とは全然ちがう様子で悲しくなりました。
収穫真っ盛りに閉ざされた販売所

放置された林檎畑

林檎農家さんは高齢の方々が多く
おうち自体が水に浸かってまだまだ片付きそうもなく、とても畑までは手が回らない、
丹精してきた畑は可哀そうだけれど、もうやめるしかないという状況なのです。
それでも、
もし春になって林檎が元気だったらまたやるかも知れない…と言っている人も。
春、生き残った林檎の木に花が咲いて
農家の人に元気を取り戻してほしいと祈る事しかできませんが・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寄り道してしまいました。
中野市の何をお知らせしたかったかというと、ここが高野辰之の故郷だということです。
故郷・・・まさにその「ふるさと」の詞を書いた人です。
他に「朧月夜」「春の小川」「紅葉」・・・私たちが慰問や定演で歌う歌がいっぱい・・・っていうか小学校で習った歌ですかね。
その高野辰之の記念館に行ってきました。


昔の歌詞はむずかしいね 3番もあってもいいのになあ。
春の小川は さらさら行くよ
歌が上手な かわいい君ら
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやきながら 
(すぽたん訳)


記念館のすぐ近くに生家もがあって子孫の人が普通に暮らしていました。
高野氏は農業の手伝いをしながら勉学にも励み、代用教員を経て師範学校へ。
国定音楽教科書の編纂を主導し、帝国学士院賞を授与された国文学者としての功績も。
こんなにまとめちゃってすみません!
う~ん、向学勤勉の結果、故郷に錦を飾るという、長野県民の理想のような人生。
書も残っていますが、とても上手(だと思う。よくわからないけど)。
昔の教室を再現した?展示 足踏みオルガンだ~

高野辰之氏の像 ゆったりとフレンドリーなお顔です

まわりはまだ歌詞の風景が偲ばれる程度に自然豊かです。
「ウサギ追い」は当時の村総出の冬の行事だったそうです。
記念館は小学校の跡地に建てられた小さな建物ですが、木造でどこか懐かしい落ち着けるところでした。職員さんが2人働いていて迎えてくれます。「あ、ここで働くのいいな」と思いました。

表札に高野って書いてあった(あたりまえか?)

長野には日本の原風景みたいなところがいっぱい残っています。
復旧が進んで、ちゃんと「ふるさと」が戻ってきますように。

*中野市は中山晋平の故郷でもあり、中山晋平記念館もあります。
離れているので今回はいけませんでしたが。

飛騨高山の旅はこちらをご覧ください










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